今日は、しぐれ畑に朝の水やりをした後、お盆前…少し早めのお墓参りをすることになりました。
お父ちゃん的には、この前、お母ちゃんと子分①が二人でお詣りした三峯神社が
良かった良かった!!
と連呼してたので、三峯神社へお詣りしたかったそうなのですが、家族の都合で行先変更です。
しぐれの子分①が浪人中にお世話になったおじいちゃん。大学の前期期間中、学校を暫く休んでいた後、大学受験前の師走の暮れに急逝したおじいちゃんが眠る鎌倉のお墓参りに行きたい、と聞いていたので家族でお墓参りです。
お墓が鎌倉にあるということで、鎌倉のお寺や神社、賑やかな所に行くのがいつものお楽しみです。
今回は、お父ちゃんの希望で、またまたしぐれの子分達の後期の学費納入前にお詣りしたいと…(;・∀・) 前回同様、銭洗弁財天宇賀福神社へとお詣りに行きました。前回、鶴岡八幡宮にお詣りに行った時に停めたパーキングが神社から大分離れていてリーズナブル。歩行数が稼げると運動にもなり、小町通りを通って銭洗弁財天までの道のりがいい!とのこと。
鎌倉駅より東のパーキングから銭洗弁財天まで徒歩で向かいます。神社直前の急登が、丁度午後になり暑くなってきたので汗だくになっての参拝です。
佐助ヶ谷の奥、三方を尾根に囲まれ、古くから隠里と呼ばれ、福神の住むところと言われた窪地があります。銭洗弁財天宇賀福神社はそこに鎮座しています。
銭洗弁財天のもとは、扇ヶ谷の八坂神社の末社でしたが、1970年に独立し、名を銭洗弁財天宇賀福神社となりました。
御神体は、体は蛇、頭は人の形をしていて水の神とされています。
平安時代の終わり頃、世の中が乱れ、飢饉が続いて人々の苦しみはひどく、目も当てられない有様でした。
源頼朝は、人々の命を救おうと、日夜神仏に祈っていましたが、巳の年の1185(文治元)年、巳の月、巳の日の夜に、夢に一人の老人が現れ、
ここから西北の方に一つの谷があり、きれいな泉が岩の間から湧き出ている。今後この水を汲んで絶えず用い、神仏を供養せよ。自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。
と言って姿を消しました。
夢から覚めた頼朝がすぐ家来をやって、その場所を探らせると、確かに岩の間から綺麗な水が湧き出ているのが見つかりました。
頼朝は、さっそく石工に命じて穴ぐらを掘らせ、社を建てて宇賀福神をお祀りし、毎日その水を運んで供えたところ、天下は次第に治まり、人々は安楽な日々を送るようになったといいます。
その後、第五代執権北条時頼もこの神を敬い、人々に参拝させました。
そして、「銭をこの水で洗い清めれば、福銭となり、一家は栄え、子孫は長く安らかになるであろう」と、自ら持っていた銭を巳の日に洗って祈ると、人々もそれにならって銭を洗い清めるようになりました。
いつしか銭洗いの水と呼ばれるようになり、今でもこの水でお金を洗う人が絶えません。(銭洗水は鎌倉五名水の一つです)
~~~明日につづく
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