昨日は、とうとう天津祝詞をブログに載せてしまった。。。いや、載せました。自分が毎朝奏上してる祝詞。神社の神主さんがお祓いする時、よく聞こえてくる祝詞です。短い祝詞なので覚えるのは難しいことではないということで、神棚を置きたい方にも参考になるかな…と思いつつ記事にしました。
そして今朝は、いつもの神棚を整え、松ジュースとマコモを飲んで、休みの日は掃除を休みにしようと、ダイニングテーブルでポチポチしてると、みかん県の兄から電話が。
「お母さん、今朝亡くなったよ。」
と。
去年、母の日にみかん県に行った時、うみ子さんは調子を崩したまま入院。その後、転院し、そのまま施設に入ったうみ子さん。結局、去年の母の日以降の数回会えただけで、お母ちゃんは東京の自宅に戻りました。
その後、施設に入居した後は、元のうみ子さんのように元気になり、567禍で面会はできなかったのですが、暖かい施設の職員の方達に囲まれ、気が合う年上のおばあちゃん入居者の方とも友達になったと、楽しそうに話すうみ子さんの声を聴き安心していました。
「これも(亡くなった)お父さんのおかげやぁ~」
と感謝しながら話していました。
ですが、大動脈瘤といういつ血管が破裂してもおかしくない爆弾を抱えての施設での生活。。。今朝がその日でした。
よくよく考えると人に甘えるのが下手で、一人で頑張ってきた人だったんだ…と、うみ子さんが入院した時気付きました。そんなうみ子さんの頑張りに気付いてなんとかできなかった自分は…と思うと…。
四人兄弟の長女で昭和9年生まれ。戦争中に小学生だったうみ子さんは、弟が3人いたのですが、一番下の弟を除き、病気で2人亡くなったと聞きました。
商業高校に在学中、お父さんが亡くなり、高校は中退して知り合いの紹介で地元の銀行へ就職。その後お母ちゃんのお父さんとなる人と結婚。という流れです。
最後まで元気で明るいお母ちゃんのお母さんでした。
そんなうみ子さんが、施設の自室で毎朝しぐれの写真を見て手を合わせ、仏壇と神棚代わりに拝んでいたという話を聞いたので、今日は、しぐれを撫でる度にやたらと目が潤んでくる一日でした。
明日はみかん県に帰省しますが、既にどんなことがあっても日々ブログだけは更新してるので(あ、この前は0時過ぎてしまいましたが…)、宇宙のどこかにいるうみ子さんと一緒に想うこと、いろいろ綴ろうと思います。
~今日も読んで頂きありがとうございました。明日もいい日でありますように✨
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