洋食屋ま・めぞんで昼食を摂った後、斜め前にあるカリントまんじゅうの看板に吸い寄せられて扇屋さんという和洋菓子のお店に入り、昨日のブログにあげた写真の他にも買っていたいちご大福をデザートに頂き満足満足でした(*'ω'*)
約半年ぶりとなる一之宮貫前神社に向かいます。レストランま・めぞんから西にまっすぐ行くと富岡製糸場ですが、富岡製糸場を通り越して西に10分余り車で進みます。小高い場所にある貫前神社です。
生き物好きなお母ちゃんが神社をお詣りする時、密かにチェックしているのが狛犬さんです。燈籠の外側にこの二対の狛犬さんがあります。ここの狛犬さんは歴史がありそうです。
一礼して総門をくぐり下り参道の階段を下ります。今日は、前回の昨年九月四日の参拝の日よりも参拝客が多めでした。ですが、地方の神社なのでかマンボウでだか、一之宮ですが人はまばらです。
寛永12年(1635年)三代目将軍徳川家光によって建てられた本殿拝殿は、漆塗りで極彩色の造りです。その後大修理が元禄11年(1698年)徳川綱吉によって行われ、また後明治5年(1872年)以降に屋根の葺き替えが5回、彩色の塗り替えが4回行われ、昭和3年に解体修理がなされているとのこと。そして、平成21年80年ぶりの大掛かりな修理工事となる平成の大修理が約4年間掛けて行われたそうです。
社伝による創立は、現在の安中市に物部姓磯部氏が氏神である経津主神(ふつぬしのかみ)をお祀りし、次いでこの地に社を定めたのが安閑天皇の元年(531年)とされています。天武天皇の時代(673‐686年)に初の奉幣(天皇の命により神社に奉幣を奉ること)があり、当時奈良の都にまで貫前神社の存在が知られていたそうです。
その後、醍醐天皇の時代に編纂が始まった『延喜式』の中の『神名帳』にも記載され、上野国一之宮として崇敬を集めてきました。明治時代に定められた社格は国幣中社で群馬県では最高位でした。
そんなうさ神さまのお母ちゃんからうさタロ明日へのオラクル🐇です。
小アルカナ聖杯の5(逆位置)…正位置では「半分以上の損失」を意味しますが、逆位置では、ほのかな喜びや希望が湧き上がることを示します。失望の中にも希望を見出し、未来が明るく見えてくるようです✨✨よい週の始まりですね(^‐^)v
~今日も読んで頂きありがとうございました。明日もいい日でありますように✨
ポチっとしていただけるとうれしいです。
⇩⇩⇩⇩⇩⇩