昨日の続きです~~~
更に、境内を周り、社をお詣りしながら回っていたのですが、どうも… やはり… なんかおかしいような…? 拝殿も神楽殿も立派なのですが…。
もう一度、グーグルで金鑚神社を調べてみました。以前、調べてた”金鑚神社“の写真で見る景色と何か違うようなのです。というか、境内の周りから鳥居を見たあたりから、
『こんな神社だったっけ…?』と内心思いつつ、神社近くの“かぶとや”で美味しい昼食を頂いたばかりだし、いいお天気の中お詣りしてたのですが、立ち止まってよくスマホで確認すると、やっぱり。。。
社務所があり、丁度参拝かご祈祷かの申し込みのような二人連れがいたので、その方々の対応後、神主さんに持ってきた御朱印帳を渡してお願いし聞いてみました。
すると、目的の五ノ宮金鑚神社は、
「かなさな神社は11社あります。五ノ宮金鑚神社は神川町にあります。」
と、サラッと言われ、よく調べずお詣りしたのが恥ずかしい…!!(-_-;) というか、お父ちゃん(!!)カーナビの設定から間違えてたようで…。更に、昼食を食べた店を調べてもらったのもここの金鑚神社近くの店…。まぁそれは良かったのです。美味しかったので…(;^ω^)
ですが、ここは、中山道本庄宿の総鎮守として崇敬された神社…とあります。社殿も神楽殿も見事な彫刻装飾が施されている立派な神社でした。
とりあえず、児玉郡神川町の金鑚神社に改めてナビを設定し直し、みんなで苦笑いしながら向かうことにしました。
グーグルマップもよくよく見ると、金鑚神社とか、金佐奈神社とか、本庄市に多くありますが、熊谷市にもあります。神川町武蔵二ノ宮金鑚神社の神様の分け御霊が祀られてるのでしょうか。
どちらも主祭神の天照大神(アマテラスオオカ)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が祭神となっています。ですが、神川町の金鑚神社の方は、景行天皇41年(111年)、日本武尊が東国遠征の折に、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から授けられた草薙の剣とともに、携えてきた火打金を御神体として山中に納め、天照大神と素戔嗚尊の二柱の神を祀ったことによるとされています。
というところでこの続きはまた明日!(;・∀・)
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