埼玉県秩父市の秩父神社、本殿西側に子育ての虎、東側にはつなぎの龍と言われる彫刻があります。
昨日紹介した北辰の梟、お元気三猿と共に名工・左甚五郎の作です。この本殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公から寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることから埼玉県の有形文化財に指定されています。
家康公は、拝殿正面ふたつめの、子虎と戯れる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神の使いとして彫刻されています。当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが丁法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴です。
親の心得
赤子には肌を離すな 幼児には手を離すな
子供には目を離すな 若者には心を離すな
とこの彫刻と共に、親の心得が添えられています。
昔、秩父札所十五番少林寺近くに、「天ケ池」という池があり、その池に棲みついた龍が暴れた際には、必ずこの彫刻の下に水たまりが出来ていたことから、この彫り物の龍を鎖でつなぎ止めたところ、龍は現れなくなったという伝説が残っています。
昔から日本人は、家や地域の四方を青龍・朱雀・白虎・玄武という神の使いが守っていると信じてきました。そしてこの彫刻も、秩父神社の東北(表鬼門)を守護する青龍の姿を彫刻したもので、昔から、家の鬼門に神仏を祀り、家内の親子、子孫繁栄を祈ってきました。家族の絆が見直されている現代にあって、多くの人の願いは今も昔もかわりません。
そんな彫刻の煌びやかな本殿がある秩父神社は、2100年以上も前から続いていることは、まさに人知を超えたものであると思いますが、それも神さまを大事にする人が支えてきたことに寄るのです。
~今日も読んで頂きありがとうございました。明日もいい日でありますように✨
ポチっとしていただけるとうれしいです。
⇩⇩⇩⇩⇩⇩