昨日は冷蔵庫のお仕事の日でした。
9月になり、肌寒い日が続くようになって、作業をする倉庫の中も、真夏に仕事していた時より寒さを感じるようになりました。それでも、10代、20代の若い子は、体を使う仕事なので厚手の作業着を着ずに仕事をしていますが、寒がりのお母ちゃんは、その作業着の中にトレーナーを2枚。その下にも長袖のシャツを1枚。それでも、体を動かさない時間が来ると、寒くて鼻水がタラ~んと出てきます(-_-;)
そして、お母ちゃんがここでの仕事をし始めたすぐ後に度々一緒に働くことになったTさん。そして男子大学生、お母ちゃんと同世代のおじさんの4人メンバーが派遣での働き手で、みんな既に顔なじみです。中でも特にTさんは、お母ちゃんよりも一回り若いママさんですが、いつも輝くような笑顔でテキパキ仕事をこなしています。彼女がいるだけでその場が和らぎます。お母ちゃんが男だったら惚れただろうなぁ…❤︎ という人です。働き者のTさんはお母ちゃんの家より都会の、職場から1時間ほどの家から車で働きに来ています。本業のバイトが飲食業。このご時世なので、シフトが減って他の家から近くのバイトもたまにしながら冷蔵庫の仕事もしているのです。お母ちゃんからすると、いつも笑顔のTさんと仕事が出来るだけでラッキーです。自分もTさんみたいにいつも素敵な笑顔の人だったら人生変わったかなぁ。。。いや。今からでも、口角を上げて笑顔の練習をせねば!と1cmくらい思います(・∀・)
そういえば、今日はお母ちゃんのお父ちゃんの10年目の命日でした。お母ちゃんのお母ちゃん・うみこさんはみかん県に住んでいるので、毎年命日に何か届けていた訳ではありませんでしたが、亡くなって10年経ったので花キューピットでお供えのお花を送ってもらいました。
亡くなったおじいちゃんが不治の病に侵されたのは、長男くんと次男くんがまだ幼稚園児だった頃で、おじいちゃんとうちの家族4人でみかん県の南の海水浴場に行ったのが元気なおじいちゃんと過ごした最後の思い出になりました。
その旅行中も、歩いてると時々躓くとか、箸でつまむ食べ物を時々こぼすなどということがあると話していました。その頃流行った『老人力』という言葉を持ち出して笑っていましたが、事はそんな簡単な話ではありませんでした。その後、そういうことが頻繁に起こり出し、あちこちの病院で検査をするうちに付いた病名が、現代医学は治療法がない進行性の難病でした。
その後は、わんこそば県からたまにお見舞いに行く度に体の自由がなくなっていくおじいちゃんを見るのは辛い闘病生活でした。原因も分からずこんなことになった、あの元気だったおじいちゃんのことは、うみこさんから電話で話を聞くだけで『もういいんじゃない?』と不謹慎ながら度々思うようになりました。病院に入院中、話が出来なくなったおじいちゃんに文字盤で言いたいことを聞き出すと、なかなか看護師さんが来てくれず『地獄の苦しみ』と伝えられたことがあり、何とも言えない苦しい闘病生活からどうしたら解放されるのかと思いましたが、いつも一緒にいたうみこさんやヘルパーさんは、当たり前の介護生活が日常でした。
おじいちゃんはあの世に行って10年経ちましたが、おじいちゃんの闘病生活を通して周りは色々考える機会をもらいました。今生きるていることの意味。いつか命を終える時に、良い人生だったと思えるようにしないと。。。と10年後の今日、改めて思い出した1日でした。
~今日も読んで頂きありがとうございました。明日もいい日でありますように✨
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