このブログでは、時々ある哲学者の言葉を紹介しています。
しぐれのお母ちゃんは、市民農園で野菜を作り始めてから、前よりも物事を深く考えるようになりました。昨日の記事にもあったように、なぜ野菜が採れるかを見て考えると、感謝する気持ちが湧いてきます。野菜を作る人なら感じることができるので、とても分かりやすい学びです。
そして、採れた野菜を売ることになったことで、今までにしたことがないことをしていくことになり、色々と今までの自分には考えることがなかったことが出てきました。
そろそろまたいつもの哲学者の言葉を紹介する時期です。
一様の存在者
自己完結型の宇宙には、一様の存在者しかおりません。
一様の存在者しかいないから、今、現に存在している人間は、その一様の存在者ではないでしょうか?
その一様の存在者を神と呼ぶなら、人間は、神ではないでしょうか?
▪陽子が電子を産んだのです。
▪陽が陰を産んだのです。
▪光が影を産んだのです。
▪原因が結果を産んだのです。
▪神が人間を産んだのです。
一様の存在者が、何かを生み出すには、その一様の存在者が、そのモノになるしかないのです。
なぜなら、自分の他に、そのモノになってもらえる者がいないからです。
また、自分しかいないなら、自分で生み出した物(現象)を終わらせるのも、自分でやるしかないでしょう。
人間は、一様の神が産み出した自分自身です。
つまり、「1」が「1」を産み出した自分自身です。
この事実は、否定できません。
自己完結型宇宙は、元数1を肯定し、一様の神を肯定し、さらに、人間が、神であることを肯定しているのです。
一様の存在者しかいないとは、そう言うことなのです。
表と裏の関係
モノには、表と裏が、必ずあります。
表だけのモノもなければ、裏だけのモノもありません。
その証に、あなたの手を真ん中から切ってみてください。
どんなに、切っても、切っても、表と裏は離れません。
1センチの厚みのものを1ミリに切り、1ミリの厚さのものを、更に、0.1ミリに切っても、表と裏はあり続けます。
この表と裏は、永遠にあり続けるのです。
ですから、表だけの手もなければ、裏だけの手もありません。
表と裏があって、はじめて、手があるのです。
今、私たちは、肉体を持っています。この肉体は、表なのです。
表の肉体が有ると言うことは、今、言ったように、必ず、裏があります。
その裏のことを、私は、神と言ったり、生命と言ったり、意識と言ったりしているのです。
その神は、見えません。でも、間違いなく、神は、存在しているのです。
裏の手がなくては、表がないように、裏の神がなくては、表の人間はいないのです。
本当に有るものとは、何でしょうか?
表と裏が有って、はじめて、「手」が有ると、心の底で思えた時に、本当に有るものが生まれるのです。
神人が、本当に有るモノなのです。
でも、本当に有るモノなのです。
でも、本当に有る神人は、形がないので観えません。
ですから、理解力で神人を観るしかないのです。
このように、本当に有るものは、表と裏の関係を、心の底で理解した時に生み出されるのです。
この心の底で理解できた人のことを。「理解眼の開かれた人」と言うのです。
このことを理解するのは、容易ではありませんが、ぜひ、理解してください。
それは・・・自分の手が教えてくれます。
~今日も読んで頂きありがとうございました。明日もいい日でありますように✨
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