(~昨日の記事の続き)
わんこそば県の幼稚園に転園したのは、古い歴史を感じる木造の少人数保育の幼稚園でした。幼稚園が終わった後、跳び箱で遊んでいる子供らの中に入れてくれたしぐれの子分①もお母ちゃんもお父ちゃんもこの幼稚園が気に入りました。
幼稚園の園長先生は、子分①が外で、「風が見える!」だとか言ってたのを聞いて、子分①のことを“平和主義者“だと言ってたことがありました。
信者ではありませんでしたが、カトリックの幼稚園で、お弁当の時間の前にはみんな手を合わせて
「神様、今日も美味しいお弁当をありがとうございました。お父様、お母様、先生みなさんありがとうございました。」
と家ではやらないお祈りをした後に食べていたので、そんなことが有難いなぁと思っていました。
小学校では高学年になり、休憩時間には絵を描くことがなくなりましたが、やはりマイペースな人で、毎年頭を悩ませたのが夏休みの読書感想文でした。
文章を書くのがとにかく苦手で、授業中の課題なら授業内で完結してもらえるのですが(それもほぼ白紙)、夏休みは感想文の宿題が残っていることを知ることになります。
放っておいても良かったのかもしれませんが、宿題はやるもので、自身が宿題を放ったままにしたことがなかったので、いつも手伝っていました。なんとか本人が書けるよう問答しながら作文を完成させたので、気がつくと書き終わるのが夜中になってたことも、中学生の頃まで多々ありました(-_-;)
そんな事をやる必要があったのか、今になってみると分かりませんが、子分①が文章を書けるようになった、逆に作文が得意になったきっかけがありました。
以前ブログの記事にした事もあった、図書ボランティアを小学校ですることになった昔のお母ちゃんは、ママ友に誘われ子分①が小3の頃に始めました。
suoaei.hatenablog.com
図書ボランティアでは、『子供の前で読む絵本を探す』という仕事をする事になりました。そして、子供の前で“上手く読む”ことが大事なので、子分①②を前に練習することになったのです。初めは恥ずかしいとも思いましたが、女優にでもなった気分で読み聞かせをしていました。
そんなこんなで、子分①②はお母ちゃんの読み聞かせタイムを毎夜楽しみにする事になったわけで、子分①は、それまで興味がなかった読書に関心を持つようになったのでした。
これは大成功で、4年生の時にはお気に入りのシリーズ本を読破し、本の虫になっていきました。そうすると、文章を真似たり書き方のコツも学んでいきます。
ただ、子分①と子分②一緒に読み聞かせをしましたが、子分②の方が読書好きになるのには、更に年数が掛かりました。
お母ちゃん的には、子分①が文章を一人で書けるようになったことで育児は終了した…と思えるくらい家での作文指導を彼にしていました。それと、ちびまる子ちゃんの作文教室には穴が開くほどお世話になりました(^^;
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しぐれの子分①はやることなすことマイペースな人でしたが、思い起こせば、やらなきゃいけないかどうかは自分自身で判断してたようで、とことん嫌なものは否定しないものの反抗し受け入れませんでした。
この『否定しない』というのが曲者で、大体の子供や若者は、親に否定ワードや否定行動を発することで反抗期を経験するのだと思いますが、性格的に否定することが嫌いな彼は、否定ワードを発しないお陰で、どれだけ時間を費やしてきたか…と改めて思い返します。
いわゆる発達障害というカテゴリーの方なのですが、お母ちゃんは、しぐれのお父ちゃんも今の時代に子供時代を生きてたら、間違いなく同じカテゴリーの中にいる人だと思います。。。という自分も、どこか変なところがあると、自分もそうなのでは?と思ったりします。
病名?が付けられたお陰で、医療機関にお世話になる事もあったのですが、本人の成長に伴い、何が障害なのか疑問に思う事も多くなり、何よりも本人自身がそのカテゴライズに疑問を感じることになったのは有り難いことでもありました。
但し、集団行動に合わせられないことで配慮してくれた友達や先生のことは、感謝と気付きが大きく、そのお陰で今があるとも思います。
超わがままな人でもありましたが、独自の個性があり、それ故に出来ることがあるということが、多くの子供や若者と違う成長を辿る中で見えてきました。なので、同じようなタイプの子供のママさんと話しをすることがあると、そんなカテゴリーは悩む必要ナッシング!と伝えています。周りと違う変人故気付くことや出来ることがあるのです。。。
~今日も読んで頂きありがとうございました。明日もいい日でありますように✨
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